
私の人生は間違いだらけでした。
でも、思う存分に間違ったからこそ、正解が見えるようになりました。
あなたも、
どんどん間違え
どんどん失敗し
どんどん後悔し
それでいいのです。
四苦八苦の人生

幸せは追いかけると手に入らないものです。【幸せの青い鳥】の逸話のとおりですよね。だから、引き寄せの法則に大成功した人でも、本当の幸福にはなっていないでしょ?「引き寄せに大成功したから幸せ」というくらいで止まっています。そして何かがあるとまた何かが足りないと感じ、永遠に何かを求め続けるのです。お釈迦様はこうした人生を【苦】の人生と呼んだそうです。【四苦八苦】ともよく言いますよね。


苦しみを通して愛を学ぶ

苦しい時に誰かから助けてもらったり、反対に誰かに慈悲を施すことを通して私たちは、【この世の愛】を学んでいきます。
苦しんでいる人に対し、私たちは、手助けはできます。物理的、法律的な救済は可能です。今日食べるものがない人、寒さや暑くて苦しんでいる人、暴力によって苦しんでいる人などに対しては、快適な場所や食べ物などを分けることで助けることができます。相談にのり、お話を聞いてあげることで、苦しみを軽減することもできます。また、本当のことを伝えることで、正しい道に戻るようにアドバイスをすることもできます。
第三者の限界

でも、苦しみそのものをやめさせてあげることはできないのです。なぜなら、どんなに周りから援助ができたとしても、苦しみの根本原因は、本人の中から湧き出てくるものだからです。そして、究極的には、それをやめるかやめないかは、ご本人次第だからです。
これは、物理的な限界です。例えば悲しい事件があって、加害者が処罰されたり民事賠償を受け取ることができたとしても、法律にできることはそこまでです。誰も苦しみそのものを代わってあげることはできないし、代わりにその人の人生を生きてあげることはできないのです。
ならば、ご本人がどう楽になれるのかについて、私たちはもっともっと考えていく必要があると思いますし、そうやって世の中を平和にしていくことが、人々の悲しみを減らす方法につながると思います。そして今、みんなでそれを考え、選択している時に至っています。
次は、ではなぜ今まで苦しみが存在したのか、その存在理由を見ていきます。
苦しみの役割

冷たい言い方に感じるかもしれませんが、ちょっと落ち着いて読んでくださいね。愛とは、苦しみを通してからしか学べない道だからこそ、私たちには苦しみを選択する自由があるのです。だから親子であっても長年連れ添ったパートナー間であっても、それを邪魔する権利はないのです。
苦しんでいるからといってすぐに助けてあげると、本人の学びになりません。転んだ子供に対し、いつもいつも自力で立ち上がる機会を与えなければ、その子はずっと誰かの助けがないと立ち直れないようになってしまうかもしれませんね。
よくドラマで有名人の子息が問題を起こした時に、権力とお金で即座に隠蔽するシーンがありますよね。それでは子息のためにならないと思った人も多いでしょう。
そして、助けてもらうことが当たり前になってしまうと、ずっと誰かから受け取るばかりで、他者への愛が育たない場合があります。
すぐに病気を治せることができる人は、学びを終えるまで治さないそうです。近視眼的になってしまい、すぐ目の前の小さな幸せしか見えなくなってしまうと、未来にあったはずの大きな幸せを取りこぼしてしまいます。
人はやはり、苦しんで、自分の人生を振り返り、愛を育てる生き物なのかもしれませんね。
【普遍的な絶対愛】

人間目線での【この世の愛】は、誰にでもわかりやすいですが、すぐに病気を治せるのに本人のために治さないという人は、一見、愛がないように見えます。でもそれは正反対です。【普遍的な愛】の人は、こうしたことも含めて、絶対的で壮大な愛のもとにこうした判断をしています。人間目線では理解不能かもしれませんね。でも、今回の記事を読んでくださると、「あ!そうか!」と腑に落ちるかもしれません。これが【絶対愛】です。人間には人気がありませんけれどね😁
勝手に幸せになる人

完全に苦しみに飽きると、やがて勝手に幸せになる道を思い出してしまいます。この記事を読む人ももうそういう道に進んでいる人です。
それは、来生でも何万年後でもいいのです。今生でムリに幸せになろうとしなくていいのです。
私たちには、ゆっくりたくさん失敗する自由があるのです⭐️
【まとめ】絶対的幸福からは免れられない

最後までお読みくださり、ありがとうございました。苦しんでもいいや、もっともっと苦しみを楽しもう、そんなふうに思ったあなたはもう、絶対愛、絶対的幸福への道を進んでいますよ。今はまだ思わない人も、思い出す時がやってくるでしょう。いつか必ず。私たちは絶対に、本当の幸福から免れられないのですから。


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