世の中は苦しみに満ちています。重税、貧困、経済格差、イジメ、虐待、病気など。実は人間のこうした悩み事は、私たちのふだんの行いの結果といえるかもしれません。もちろん、そういう立場にある方の責任だというわけではありません。
私たち人間は、あまりにも「自然の摂理」から離れすぎてしまったため、”全体として”「自分たちが蒔いた種の刈り取りをすることにもなり得る」という考え方は古くから存在するのです。
幸せと平和の基本は?
大根の種を蒔けば大根が生えます。メロンは生えません。
イジメや殺しの種を蒔けば、それが返ってくるのは自然の摂理でしょう。

そうは言っても、自分と家族のことで精一杯で、動物や他人のことまで考えられないよ~

ところでフードロスってイジメなの?
なぜ人間や動物を殺してはいけないのか

ではなぜ殺してはいけないのでしょうか。
地球から見たらどうでしょうか。地球や他の星の生命体から見たら、人間も他の動物も同じ「動物」です。だって人間は、サルから進化しただけの生き物ですよね(進化論によれば)。
人間は、自分たちの都合で「有害」だとみなした虫、動物、植物などを駆除します。では地球はどうでしょうか。人間を「有害」だと地球や他の生物が指定した時、同じことが起きる可能性があるわけです。たまたま駆除された個体が何か悪いことをしたかどうかではないかもしれません。そこにいるだけで「邪魔だ」「気持ち悪い」と言って駆除されるかもしれません。
.jpg)
人間以外の動物は、自分の食べる分は殺していますが、それ以外は殺さないと言われています。まあ、猫さんは遊びで獲ったりもしますけれどね。人間も同じ動物ならば、自分の命を維持する以外の目的で他の命を奪ってしまっては「自然の摂理」に反していると言えるのではないでしょうか。
それが「殺処分」です。動物愛護センターに持ち込みされるのは、飼い主からやペットショップの売れ残りなど、いずれも人間のエゴによるものです。
もう答えは観えていることと思います。なぜ殺してはいけないのか。一番目の理由は、「自分がやったことがそのまま自分に返ってくるから(来ているから)」です。
あなたも、大人になったから、歳をとったから、病気になったからと言って、信頼していた家族から殺処分場に連れて行かれたら嫌ではないですか?
殺している人や動物はあなた自身でもある
では次の理由を探してみましょう。初めに、誰かが殺している相手である人や動物とは、一体誰なのでしょうか。あなたとは誰なのか、調べてみたことがありますか?科学はその答えを実に明快に教えてくれているのかもしれません。

オレはオレだけどな~

ボクはね、ちょっとそう思うけど、どうでもないって感じだな~。

ウサぴょんはあいまいだな~な~んでなんだろう?そう言えば、動物って悩み事がなさそうだよな~もしかして、そこに何かヒミツがあるのかもしれないぞ!
では、「あなた」とは誰なのかを見ていくことで、殺されている人や動物とは誰なのかが見てきますから、そこから始めましょう。まずは↓の記事を読んでみてください。それだけですぐに答えがわかります。

この記事の答えは、あなたとは、「すべてなるもの」でした。とすれば、殺される人やイジメられたり捨てられたりする動物たちはあなた自身でしかないということになります。自分自身でしかないから、自分がやったことが自分に返ってくるのは当然なのですね。つまり、誰かに悪意を向けるということは、自分自身に悪意を向けるということ。一時的には快楽を味わえるかもしれませんが、いつかは必ず自分に返ってきます。だからこんなつまらないことはありません。
私たちは、生来、極めて限定的な考え方をしていて、科学がそれを裏付けしたとしてもそういう意識には、なかなかなりません。
でも、悟りを開いたお釈迦様は、もう2000年以上前にそれを知っていたのです。悟りとは「宇宙の智恵」です。科学がそれを徐々に証明していますが、まだ悟りには追い付いていませんね。でも近い将来には、ダークマターの正体も判明するかもしれませんね!
食べるためなら動物を殺してもいいのか(ヴィーガン、ベジタリアン問題)
上にも書きましたが、生物はみな、自分の命を存続させる目的で他の命を奪っています。その理由は、そういうように生まれてきたからです。動物も虫や鳥たちも、何かを悪意を持って他の命を奪っているわけではありません。それを食べて自分の命を全うするように生まれてきただけのことなのです。
「命」と書きましたが、それは、私たち人間が「生物」とみなして分類しているものだけではありません。
野菜を育ててみればわかりますが、彼らは人間に食べられるために育つわけではありません。自らの命を次の世代につながるように懸命に生きています。それを人間が都合よく「収穫」して命を奪っているのです。だから、野菜や雑草しか食べないから「善」だというわけではありません。
とは言え、私もあまり肉食はしたくありません。肉食よりかは魚食、魚食よりかは野菜食や果物食で生きていきたいという願いはあります。
また、多くの人の肉食が原因で起きている環境破壊も大問題になっています。でも、テレビ、動画、雑誌、SNSの多くがグルメや食べ物を扱っていて、それも肉食を取り上げることが多いですよね。料理研究家の方も、肉を扱ったほうが評判がいいのかもしれません。でも私たちはそんなに頻繁に肉を食べる必要はあるのでしょうか。本当は、CMに踊らされているだけなのではないでしょうか。
「不食」と聞くと信じられないかもしれませんが、日本にも不食やごく小食の方は何名もいます。有名なのは弁護士の秋山佳胤さんです。私は彼を存じ上げていますが、食べても食べなくてもいい方です。食べない期間はかなり長期間に及ぶこともあるそうで、水さえもあまり必要としないようです。
そんな秋山佳胤さんは、脳波がとても特殊なのです。通常の人間の日常生活では起きない脳波にふだんからなっているそうです。
野菜などの植物は、目的を達成すると徐々に栄養分をとらなくなっていき自然に枯れていきます。人間も、高齢になると食に対する欲が減り、「死」が近づくと食べられなくなっていきます。これが「命」の自然の姿です。
犬や猫も老衰が近づくと食が細くなっていき、最後にはあまり食べずに死を迎えます。
なぜそうなるのか、体が「枯れる」準備をしていくのだと思います。食べないことで脳内麻薬が発生し、痛みを緩和して穏やかに逝けるので、点滴など行わない「自然死」が増えているそうです。
秋山佳胤さんは、お元気ながらもこのような状態に近いのではないかと思います。食べないから睡眠時間もあまり必要なく、老化も緩慢になるそうです。そしてもちろん、悩みなどが存在する脳波でないので、いつも幸福感で満タンです!私たち人間も、徐々に「食べない」という進化をしていくのかもしれませんね。食べて悩むか、食べずに幸せになるのか。すぐにではなくても徐々に減らしていくことはできそうですね。
まとめ
冒頭のお話に戻ります。私たちは、自分が蒔いた種を刈り取るというお話でした。この場合の「自分」とは、「個人としての自分」という意味と、「人間全体」という意味の両方を持ちます。
ただし、苦しんでいる個人がその責任を負っているというようには考えません。人間は、「個」としても存在しているので、「人間全体」としてのカルマを誰かが引き受けることがあると思うからです。かつてのイエス・キリストもそうでしたよね。
だから私たちは、「弱者」の立場にある人、苦しい立場にある人のことを人ごとだと思ってはならないのです。私やあなたの意識を変えることで社会は変わり、苦しむ人は減ります。
こうした理由から、「あなた以外の存在」を自分のこととして思慮するということは、精神が成熟すればごく自然のことなのです。自分自身なのだから。
悟り以外のスピリチュアル系でよく「ワクワクしよう!」と言って自分のことだけの楽しい発信をする人がとても目立ちます。でもそれは、全くズレていることがわかるでしょう。

メビウスの輪は、そのまま「永遠」を表すわけではありません。互いに鏡となり、反転した世界を写し合っています。
だから、あなた以外の存在に目を向けて愛と関心を寄せたとき、あなたにも幸福が訪れるのです。
「あなた」の幸せは、「あなた」以外の幸せによってしかもたらされないのです。





コメント