
新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
令和5年になりました。生きているだけなのに、どんどん月日が流れていくのは不思議なものですね。
さて、今日は1月2日の筆初めです。新年の抱負でも書いてみませんか?このブログの今日の記事は、心の優先席について。
体の優先席

社会では、体の不自由な方、高齢者、体調不良の方、妊婦さんなどには優先席が設けられています。昔は高齢者や妊婦さんなどの外見ですぐに分かる人以外は優先席を使いにくかったのですが、近年では、そういう外見では分からない方のために、ヘルプマークも使われています。

様々なシーンで配慮を要する人に対しての心遣いができるようになっていますが、それでもまだまだ身体的なものに対するものが多い気がします。
発達障害の問題

例えば発達障害は、その名称自体は広く知られるようになりましたが、あまり内容は知られていません。ただ、人と違う個性を持っている、空気が読めないなどのイメージではないでしょうか。実際には、発達障害の人に対してどう接したらいいのかを、私たちの多くはあまり知りません。
心や脳の働きは目に見えないため、その人がいつどこでどんなふうになっていて、何に困っているのか、何を欲しているのかが分からないのです。そして、そういうことを本人もよく把握できていないのが発達障害です。グレーゾーンならばまだそうでもないかもしれませんが、私の夫は2級相当なのですが、夫は、自分が何にどう困っているのかがほとんど分かっていません。
「分からないことは分からないときちんと言わないとダメだよ」と言われたことがありますが、自分が分かっていないことも分かっていないのだから、それはムリです。それは分かる人だけの理屈です。
そんな人に対して、本人から教えてくれないと対処の方法も分からないよと思われるかもしれませんが、最終的には、やっぱり分かる人が分からない人に対して推測し、手助けをするしかないのだと思います。
IQの問題

このように、発達障害はあまり知られていないですが、でも、IQで考えたらどうでしょうか。IQは、単なる記憶力の問題でなく、脳の働き全般の指標になるようです。だから、高学歴だからといって、必ずしもIQが高いとは言えないようです。IQは、思考力、理解力、洞察力、分析力、問題解決力などに関わるとのこと。ただ、心は脳が作るとされているため、心のIQと言われているE Qも合わせて考えないと本質的には見えてこないと個人的には思いますが。
そんなIQですが、分布図をご存知ですか?
この記事によれば、統計学上は人口の約14%、1,700万人に上るとされているとのこと。知的障害を含めると、かなり多いのです。
IQは、感情、心の問題にも関わってきます。その心は、自分の体験、人の話を聞く、読書などによって培われていきますが、下のリンクのように、日本人の3分の1は日本語がきちんと読めないとの指摘があります。

公表されている世界的な学力テスト自体ではそんなに低くない日本人ですが、実際には、読み取る力、理解する力、推論する力、それを統合して俯瞰する力が弱くなっているのだと思います。かく言う私も、IQテストでは定型発達と発達障害とのボーダーに位置する凸凹があります。たまたま言語性のIQが少し高いため、実体が見られづらいですが、数字が苦手です。
暴言、性格が悪い人?

本題に入りましょう。IQやE Qなどの目に見えない問題は、外見からは分かりません。だから、ともすると、性格が悪いととらえられがちなのです。あるいは、怒り狂っている人が、ただ状況把握ができていなくてパニックになっているだけなのかもしれません。脳の問題で心が年齢相応に育っていなくて暴言や不相当な言葉を吐いてしまうだけなのかもしれません。
私が察するには、その人は、本当に人としての資質が悪いのではなく、何の悪気もなく、ただ思ったことを口にしているだけで、誰かをバカにするつもりもなく、誰かを困らせようとしてやっているわけでもなく、ただ幼い子供のように、素直なだけなのかもしれません。そして、それで誰かを傷つけたとしても、それを本人がどこまで反省したり改善することができるのかは、あまり期待してはいけないのかもしれません。
政治家でも不用意な発言が追及されることが多いですが、たぶん、本人からすると、ただその人が感じた事実を述べただけで、だからそれが悪いとか劣っているなどの意味まであったわけではないと思うのです。
どう受け取る?

発達障害ではよくあることですが、そんな意味で言ったわけではないのに、なぜか相手はすごい変化球として受け取り、困ることがあるのではないでしょうか。言葉にどんな意味を持たせるのかはその人次第です。言葉は慎重でなければなりませんが、万人にとって喜ばれる言葉はありません。「頭がいいね、綺麗だね、お金持ちだね」などの褒め言葉に分類されている言葉であっても、言われて嫌な気分になる人はたくさんいます。「アホ」と言われて喜ぶ人もいます。
よく「良い意味で」と自分の発言に意味を付け加える人がいますし、私も時々使います。ですが、言われる側が、本人がどんな意味で言ったのかに拘束される必要はありません。自分が好きなように解釈を変えることができるのです。悪意で言った言葉であっても、善意の言葉に変えることだってできます。
まとめ

優先席と同じく、分かる人は分からない人に譲り、受け取り方を変えることができる人がちょっと乱暴な言葉を使う人に譲り、互いに尊重し合う社会ならば、こんなに生きづらい日本を変えることができるのではないでしょうか。
自分の価値観、当たり前を押し付けず、自分もそれに囚われず、楽に生きていきませんか?長くなりましたが、年頭のご挨拶と今年の抱負とさせていただきます。ありがとうございました。


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