自分の常識を捨てると幸せになる

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私たちはたくさんのことを親、養育者や世の中から教えられました。そのお陰で無事に生きてこられたのですが、これからの世の中には必要ない価値基準までたくさん教えられました。

その中でも根強く残るものを2つ取り上げます。私もとてもこれらに囚われが強かったのですが、これを捨てたらとても楽になり、誰かの役に立てるような方向へ進みました。

内観のラスボスは自分自身ですが、その手前のステージで出てくるのが親や世の中です。私たちは本当は幸福を自分の意思で選択できるのに、親や世の中を利用して自分を不幸のままにしてしまいます。つまり、不幸になるために親や世の中を理由にしているのです。

人は目的のために行動をするとアドラー心理学では考えるそうです。私もこれに同感で、自分の何かしらの目的のために選択と行動をしていると思います。その目的とは、幸せになるものだけでなくなく、不幸になるものも含まれています。

アウシュビッツの囚人は、たとえ体が捕らえられても、意識だけは自由だと言ったそうです。私は、自由なその意識を、もっと自由の幅を広げて使ってほしいといつも願っています。それが身体的にも精神的にも本当の自由をこの世界に表現できるようになる方法だからです。

義務感からは本当の自由にはなれません。そうでなくてもいいのだと思うところから自由意思で愛の行動をとっていけたらな、と思います。

親なら子どもを愛して守るべき

たくさんの事件や事故を見ると辛いですよね。親子関係はその人に大きな影響を及ぼします。私も親は子どもを愛してほしいと思います。でも、だからこそ、親は子どもを愛さなければならないという囚われから一旦抜けてみてほしいのです。

親は子どもを作った途端に親になれるわけではないでしょう。だって、性行為をしてから十月十日したら、人として急に成長していますか?そうではないですよね。最近の親御さんは、子どもから親として育ててもらっていると考える人が増えていますが、私の時代にそんなことを言う人はいませんでした。

人間なのだから、我が子をどうやって愛したらいいのかわからない人がいてもおかしくありません。動物にでも育児放棄はあります。人間は親からされたことを無意識に我が子にしてしまうと言われています。愛し方を間違えて育てられた人が、同じことになるのも仕方ないと思いませんか?

政治は国民のためにあるべき

このブログでも憲法や政治の話をしています。政治が国民を守らなくなったら、いずれその国は滅びるでしょう。でも私たちは、国民のためにならない政治家を選んでしまっています。

これも親の話と同じで、一旦、その【べき】を捨てましょう。私たちは何かの利益(不幸や貧困を含む)を目的として、そういう政治家を選んで利用しているだけなのかもしれません。

自分次第

子供は生まれた時からずっとその親なので、今の制度上、それを変えることやその家族から抜けることは難しいです。でもいずれ今の家族制度は変わると思います。子供をどう愛したらいいのかわからない、育てるのに困難がある家庭から子供が自由に抜けられる制度になると思います。

政治やその他のことについては、結局のところ、自分の選択次第なのです。もちろん親の影響が一生残る可能性があるのですが、それでも18歳になれば自分の意思で人生を立て直すことができます。どんなに難しくても、可能性はあるのです。その可能性を捨てるのは、自分が自分にかける呪いです。

私たちが親のせいで不幸な子供時代を送ったにしても、大人になってからもそれをずっと抱えていたらもったいないです。

毒親に復讐なんてしなくていいし、自分が不幸なのだと人生をかけて実証しなくてもいいのです。

同じように、政治のせいで不幸なのだと実証しなくていいのです。政治家が悪い、それは事実ではありますが、親や世間からそう教えられて、自分の幸福を政治家に明け渡さなくてもいいのです。その政治家を選んだのは私たちですから。不正選挙があったにしても、その不正を許しているのが私たちですから、結局は私たちがすべて選んでいるのです。

私たちは、自分の幸福をいつでも作り直すことができます。幸福に条件さえつけなければ、いつでもこの瞬間から誰でも幸福になることができます。

みんながそうやって自分で自分の幸福を選択できるのだと思い出した時、親も政治家も愛の中にあるでしょう。そして誰もが悲しむ人がいなくなると思います。

私たちは幸福を自分で選択できます。空気がある、空がある、この体がある、生きているだけでまだまだチャンスはたくさん残っているのです。ワクワクしたスピリチュアルも要らなくなります。

いつでもあなたの幸福を願っています。ありがとうございます😊

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