私は去年(2021年)と一昨年(2020年)の2年間、岡本よりたかさんの連続セミナーに通いました。
よりたかさんは、日本で唯一の出張をして教えてくれる講師なのではないかと思います。
なぜよりたかさんが出張をしてくれるのかの理由をお尋ねしたことはありませんが、私が思ったことは
と思ったからなのではないかと推測をしています。よりたかさんの連続セミナーでは、主催者の畑を使って実習をします。その畑は、私たちが実際に取り組むような「荒れ地」や「痩せ地」であることも多いようです。私が通ったセミナーの主催者さんの畑も慣行農法だった場所で、トラクターできれいに整地をしてくれていた場所を引き継いだそうです。でも、慣行農法だった土は、無肥料栽培を始めてもすぐに適応できるわけではありません。慣行農法は、土や植物本来の力ではなく、農薬と化学肥料の力で育てる農法です。でも、栽培の基本は「土」です。「土」ではなく、栽培に適した「土壌」にまで戻すことや、自家採種を続けて種に力を取り戻すことが大事です。
もちろん、よりたかさんの畑などの正解を知ることも大事です。でも、それだけでは足りないのではないかというように私は思ったのです。
これを一言で説明をすれば、こういうことです。
自然農法、自然農の3大家(福岡正信氏、岡田茂吉氏、川口由一氏)

福岡正信氏の自然農法、川口由一氏の自然農
私は読んだことがないのですが、福岡正信氏は『わら一本の革命』で有名ですね。岡田茂吉氏と異なり、世界に自然農法を広めた功績がすごいと思います。岡田茂吉氏よりも後に誕生していますが、自然農法を日本で初めに始めたのは福岡正信氏なのではないかと思います。
ところで、氏がYouTubeでお話している動画には、ご自宅と思われる周辺には山があり、木々が生え、草もよく茂っている様子です。
例えば、この場所で福岡正信氏のやり方を教えてもらい、現代の住宅に囲まれた畑で再現しようと思ったら、うまくいくでしょうか。これは、川口由一氏の自然農でも同じようです。
数々の先人たちが、福岡氏、川口氏さんのやり方を試みたものの、うまくできなかったという声をよく聞きます。これはどうしてなのでしょうか。後述する岡田茂吉氏の自然農法の場合でも同じようです。茂吉氏が生存していた頃にもすでに、その自然農法ができる畑とそうでない畑があることに気づいていたとのことを、当時、茂吉氏の近くで実践をしていた人が悩んでいたとのお話があります。
(注意)ここに書くことは、福岡正信氏や川口由一氏が間違っているということを言いたいわけではありませんので、あしからずですよ。
岡本よりたかさんの著書『無肥料栽培を実現する本』にも書かれていることですが、山の上、近くなどには有機物の堆積があったり、そこにずっと生えている植物によってミネラルが豊富に含まれているそうです。「山で出来たミネラルが地下水などで畑へと流れてくる」と書かれています(『続・無肥料栽培を実現する本』24ページ)。
そしてよりたかさんは、このミネラルという成分を「大工さん」と呼んでます。
いくら建材があっても家が建たないけれど、大工さんというミネラルがあれば建つということです。
ミネラル自体は地球全体で循環しているので、かなり長期間に及ぶようです(同書23ページ)。
無肥料栽培を実現する上では、このミネラルがカギを握るようです。
岡田茂吉氏の自然農法
岡田茂吉氏は、宗教(世界救世教)の教祖になりましたが、その中で自然農法を教えていました。当時からうまくいかない場所が多々あることを認識していたようですが、その理由を「肥毒(土に残った養分)」があるからと教えていました。そのために、とことん養分を抜くという方向へ向かってしまった信者たちがたくさん出たり、他にも茂吉氏の死後に教えの解釈の違いで対立し、信者が分岐していきました。ただし、MOAはその後、自然農法を化学的に分析して発表したり研究をする流れの中にあります。この研究は、「できる」「できない」などの主観的な感覚ではなく、客観的な数値や実験結果として公表されているものがありますので、誰にでも参考になります。
うちの畑について
私の母は、岡田茂吉氏の分岐した中でも最も「原理主義」と言えるような団体に入信し、40年以上もの間、誤った自然農法を続けてきました。
その結果、スギナやチガヤだけが生い茂り、他の雑草も生えないような砂漠になってしまいました(後掲の「土壌分析の結果」を参照)。
3年前にその畑の半分を借りて、私と夫とで開墾をし、土壌改良を重ねています。でも、残りの母のエリアは、今も従来のやり方を頑なに続け、今もバランスを失って【枯れた土】になっています。
大根は小さくてポソポソ、他の野菜も、育っても小さく、あるいは育たずに虫や天候によって淘汰されて枯れてしまいます。
ちなみに、私と夫とが引き継いだエリアと、元々の母のエリアとをご紹介している動画があります。わかりにくいと評判の動画なのですが、前半は、引き継いで開墾、土壌改良した私のエリアで、後半は母のエリアになっているかと思います。
現在の日本の農地、畑
誤った自然農法を続けたうちの畑だけでなく、戦後、慣行農法を続けた畑も同様に「枯れて」しまっているようです。ずっと赤土のままだったり、団粒化していなかったり、周辺の生態系バランスが壊れた場所です。よくそういう畑を見かけませんか?
各市町村等に置かれている農業委員会によって農地転用(農地を住宅地にするなどの許可)が安易に許可され、畑の肥沃な土は建物が建ったことで枯れてしまいました。あるいは、ずっと農地だった場所でも、耕作放棄になってしまい、雑草管理のために頻繁にトラクターで雑草を抜き取ってしまう畑も同じなのだそうです。ただし、完全な耕作放棄が続いて雑草が生えたいだけ生えていた場所は、土が力を取り戻しているそうですが。
私たちは、バランスを取り戻した講師の畑ではなく、そういう力を失くした土で栽培しなければならないわけです。
あるいは場所が変わってしまい、また新たな畑で自然の栽培を始めなければならなくなることもあるでしょう。そんなときに、どうしたら栽培が可能なくらいの土にすることができるのかを知っておかなければなりません。
また、自分の畑だけでもと無農薬で生態系バランスを取ろうとしても、周辺が農薬を使ったり、化学肥料をまいたり、建物を建てることで生態系バランスは狂ってしまいます。土と空気と地下水はつながっているので、人口が最大まで増えて密集している今は、昔よりも難しいのかもしれません。
枯れた土で知識もスキルもない人が栽培を始めるということは、言わば、料理の初心者が、道具も材料もそろっていなくて、どう調理したらいいのかをよく知らないままそこで調理をしなければならない状況に近いと思います。これは相当に大変です。
師匠の畑で「こうやればうまくいく」と説明されたとおりにはできないのです。
岡本よりたかさんは現代の農法を「都市型農業」と呼んでいました。昔とは条件が違うんですね。生態系バランスについては後述しますが、自然の農法とは生態系バランスを整えて、その結果として虫や獣などの影響を大きく受けないようにすることができる農法だと思います。単独では成り立たないんですね。
というように、「全てなるもの」の影響を受けて「私」という個が成り立っているのと同じで、「私の畑」も、空と陸と地下水でつながっている「全てなるもの」から影響を受けているのです。

特に水田の場合には、水を周辺で共有したり、まとめて空中から農薬散布をするため、「自分だけはこうしたい」という願いがなかなか届かないようです(地域によっては、散布除外をしてくれることもあるようだ。)。
つまり、ただ単に、「無農薬、無肥料栽培」が自然の農法ではないと思うのです。
でも、現代の密度が高く集まった小さい区切りの畑では、周辺の農薬は飛散、地下水によって運ばれるという影響を受けるでしょう。
その際、農薬から逃げた虫は無農薬地帯にやってくるでしょう。耐性を持つ虫や菌は、農薬という「外敵」が襲ってくることによって進化します。もちろん無農薬地帯でも虫は発生しますが、農薬によって耐性を持ってしまい、後に困る(持続性に乏しい)ということにはなりにくいと思います。
誰かが近くの里山や元々の動物たちの棲み処を壊していけば、食べ物がなくなった動物たちは畑にエサを求めてくるでしょう。
自然の畑や田んぼを始めると言うことは、私たちがこうした「善も悪もなく全ての中で生きている」ということを思い出させてくれるんですね。
そして自然の農法を成功させようと思ったら、自分ひとりでは難しく、周囲の協力も必要だし、ひいては地域全体、地球全体の人間が環境を壊すのをやめて協力しあうことが必要なのではないでしょうか。
ところが近くで毒入りのエサを撒いてしまい、それで死んだネズミをフクロウのヒナが食べて死んでしまうそうです。
誰か1人でもルール違反、逆のことをしてしまう人がいると、すべてが台無しになることがあります。地球は、私たち全員で住んでいる場所です。「自分1人くらい」という身勝手な意識が「全体」へと影響します。
自然栽培、無肥料栽培など(木村秋則氏、岡本よりたか氏、竹内孝功氏)

岡本よりたかさんの教えの根本
岡本よりたかさんは、「不耕起」自体を目的にしません。耕さなくてもいい土にしようと教えてくれます。その結果として「不耕起」が可能になるのだということです。
不耕起が可能な土とは、きちんと野菜が育つまで整った土のこと。団粒構造になっていて、「固相」と「気相」と「液相」のバランスが4:3:3になっているものだそうです。これは、土壌診断を行って化学的に評価します。
ただし、土壌改良を始めてからずっと耕しましょうということではありません。ミネラルバランスを整え、団粒化をして不耕起が可能になるためによりたかさんが推奨することは、雑草堆肥がメインです。畝とは別の場所で雑草堆肥を作り、それを畝の浅い部分にすき込んでいきます。
先にも書きましたが、セミナーで実習をした畑は、元は慣行農法だったそうで、引き継いだ当初はトラクターできれいに整地されていたそうです。中には天地返しをした部分もありました。初年度は作物もよくできたそうです。
ところが2年目には、それまでに残っていた「肥料(化学肥料の成分)」がなくなってしまい、植えた作物たちは本当に可哀そうな姿でした。続けて3年目に当たる2021年には、雑草堆肥をすき込んだ場所は少し土が柔らかくなっていました。でも、どうもそれでもうまくいかないなという畝は、また深さ30cm以上を掘り返し、雑草堆肥、もみ殻くん炭などをガッツリと入れていました。この畝はその後、他と比べて成長が良かったです。
このように、よりたかさんでさえも、その畑をしっかりと観察をしてどうするのかを決めています。臨機応変に対処し、方針転換もあります。なので、実際の畑の様子を見ずにこうしようああしようというのは、少し早合点ではないかと私は思います。
私の失敗談
現在の農地では、耕さないとカチコチになっていて、根も張れないような土が多いと思います。そういう土は腐植が乏しく、団粒化しないので土の中に空気も乏しいということ。
植物が育つには土の中に窒素が必要なので、カチコチの土では養分吸収も難しいのでしょう。
川口由一氏の教えだと思われるもので「3年放置すれば自然農が始められる」という言葉があると思います(違っていたらすみません)。私もそれを聞いて、ちょっと試しました。本当にカチコチの土だったのですが。ただ雑草を積み上げただけでどうなるかと言えば、多少の柔らかさは出たものの、やはりマメ科のサヤエンドウでもちゃんと育たなかったのです。特にマメ科は窒素固定をするために土の中に窒素(空気)が必要だから、カチコチの土では気相に乏しく、栄養吸収できなかったものと思います。
実はよりたかさんのセミナーを受講する前年度にあたる、うちのエリアを開墾した年(2019年)には、私もここまで「できない」ものだとは思わなかったもので、耕運機でチガヤの抜根をした際に腐葉土ともみ殻くん炭と自作のボカシ肥料だけをすき込んでみました。それで夏野菜を育ててみました。ところが、当然ですが撃沈です。
ネットや本でそれなりに勉強していたのですが、やっぱり私も「自然農法神話」を信じていたのですね。少し有機物を入れれば、土の色は黒いし30年以上も母が耕作をしていたのだから、それなりにできるだろうと思ってしまったのです。「無肥料栽培」がその土によってこんなに差が出るのだとは思いもしませんでした。
そこで秋には、竹内孝功さんの本を参考にして、控え目に牛糞を入れてみました。たしかにその時にはキャベツや白菜がよく育ちましたが、その効果はとても短かったようです。その次にはもう土が固くなっていたし、翌年の夏野菜は元気がありませんでした(もっとクラツキなどをしっかりとやればよかったのかもしれません。竹内さんが間違っているということではありませんよ)。
後によりたかさんにお尋ねをしたら、うちの土壌診断の結果からは、そんな量ではとても太刀打ちできないと言われました。その、再度の抜本的な土壌改良ができたのは今年(2022)の1~2月です。その結果は、これからの夏野菜でどうなるのかでわかります。
土壌分析の結果

【母のエリア(「できない畑」)】土壌分析の結果(2020.10採土)大事なミネラルである有効態リン酸が0.0mg/100gと明らかに不足しているのがわかります。

【私のエリア】同日に採土。腐葉土、もみ殻くん炭、ボカシを投入したものの、イマイチだったので、牛糞堆肥を控えめに入れた後の数値です。これを岡本よりたかさんに見てもらったら、有機物が不足し過ぎていて、縦循環も始まらないと言われました。種をつけて循環が始まるよりも先に、雑草なり野菜なりがきちんと育ち始めることが大事だということで、有機物を大量に投入し直すことになりました(2022.1~2に実施)。

【母がずっと管理していたのとは別のエリア】同日に採土。雑草を頻繁に刈って堆積していたと思われるエリアにはハコベが生えていますが、ナス、トウモロコシはよく育ちませんでした。ただ、有効態リン酸が7.0㎎あるので、このまま雑草を生やしてミネラルを整えることになりました。
よりたかさんの「無肥料栽培」の定義
よりたかさんの「無肥料栽培」の定義は、「お金を払わなくても、持続的に用意できる物だけで栽培する方法」としています。これは、自分が用意できるもの以外は「依存」になり、お金で買うことは持続的ではないという理由からだと思います。
だから、鶏を飼っていれば、そのウンチを堆肥化させて畑に入れたりするのは「無肥料栽培」に含まれます。鶏を飼っていれば、畑に入って野菜や雑草を食べ、その場でウンチをするのは自然なことだからだそうです。自然界からやってくる鳥たちはそうやっていますよね。モグラが来て何かを食べ、ウンチをすることもあるでしょう。そこで命を終えて、遺骸を残していく動物も多いと思います。そうやって有機物が自然に土の中に入ってくることをすべて「禁止」してしまうと、反対に不自然だと私も思います。
言葉を鵜吞みにしてはいけない
ちなみに、母に(野菜が)「できるの?」と訊くと、よく「できるよ」という答えが返ってきます。
これはテストの点数で言えば、私にとって「できる」とは少なくとも80点以上を指しているのですが、母にとっては0点以外は「できる」うちに入ってしまっていることも勘違いを加速させました。
例えば、トマトで言えば、1個でも実がつけば「できる」と言うわけです。でも私にとっては、少なくとも数10個以上の収穫で、降霜までの間、しっかりと結実し続けることを指しています。
他にも「何もしていないのにできた」という人がいます。でも、経験者で知識もある人が「何もしていない」というのと、本当に知識とスキルがある人が「何もしない」のとでは雲泥の差です。
これもテストで言えば、できる人はただ授業を聴いただけで、休み時間や登下校時に復唱したり、無意識にそれなりに何かしらの”努力”をしていることが多かったりします。でも当人にとってはそれは当たり前のことをしているだけなので、「特に何もしていない」の範囲に入るという例がわかりやすいかと思います。
でも本当に「できない」人は、授業もチンプンカンプンで、復習もしないし授業の内容は完全に飛んでしまっていて、文字通り本当に「何もしていない」状態だったりするわけです。
このように、言葉は人によって含んでいる意味が違うので、きちんと確認をしないといけませんね。
自然の農法とは?

自然系の農法を始めると、とかく「使わない、入れない」ことにこだわり、それが「自然」なのだと勘違いをしてしまいます。でも、自然界の働きに「人工的」に手を入れるのが「栽培」です。自生している植物を摘んでいただくだけならば本当に「自然」ですが、苗を植えたり種を蒔く時点で「人工」です。つまり、自然農法、自然農と言えど「不自然栽培」「不自然農」なわけです。
なので私たちは、「自然」の意味をよく考えなければならないと思います。
また、農薬、化学肥料、建物建設、アスファルトなどによって土が壊れた状態も「不自然」です。その不自然な土で突然「自然農法」「自然農」を始めるということは、本当に「自然」だと言えるのでしょうか。
自分の都合のいいように「自然」を解釈してしまえば、本末転倒どころか、逆に環境負荷を大きくすることにもなってしまい、エゴ的だと言えます。
現在の自然農法、自然農の問題点

先の説明のとおり、バランスが狂った「不自然な土」の土のまま「自然農法」「自然農」を行うということは、自然界の働きに任せるようでいて、自然界を破壊しかねないリスクを持っています。
自分が食べるだけの収穫ができなければ、結局はスーパーなどから買って食べることになるでしょう。母もずっとそうしていました。「自然農法」にこだわるあまり、「更に不自然な野菜(農薬や化学肥料を使った野菜)」を購入し、土、生態系などの自然界を破壊する手助けをしてきたわけです。
目先の満足を求めず、つねにマクロな視点でもバランス感覚が必要になってくると思います。
自分の現在地を知る

自分の現在地を知ることは、何をするにおいても最重要です。上の画像は、旅行で例えてみました。札幌を目的地にした場合、「できる」「できない」は、札幌から遠いかどうか、陸路なのか空路なのかにもよりけりでしょう。でも、距離や手段を考えず、先生が「こうしたらできる」と教えたものは、普遍的な法則【原理原則】以外には、誰にでも当てはまるわけではありません。
私たちはずっと、学校で答えを教えてもらう生き方をしてきました。今もすぐに「答え」を教えてもらいたがります。でも、自分や自分の土や環境にそれが合うのかどうかは誰にもわからず、自分で考えるしかないのです。【原理原則】に則り、「自分の場合はどうか」と常に考えることが自然農法、そしてそれを基幹にした、自由な生き方なのではないかと思います。
【原理原則】と【現在地】を知ると答えが見つかる

うちのように土のバランスが極端に壊れている場所でも、方向性さえ間違わなければ、10年もすればある程度は良くなるのだそうです。でも、先もお話したように、その間、あなたは何を食べるんですか?っていうことです。自然の農法では、始めてから3年、7年という土がよくなる基準のようなものがあるとよく聞きます。うちは3年間、雑草を積み上げるだけにした場所は、そこまで良くなりませんでした。
ましてやうちの場合は、犬に安心、安全なものを食べさせてあげたいと思って始めた畑でしたが、3年間もなんだかんだとやっているうちに、肝心のその犬が亡くなってしまいました。もし初めからよりたかさんに教えてもらい、しっかりと有機物をすき込んでいたのなら、きっともっと犬に美味しい野菜を食べさせてあげることができたし、何度も土壌改良をやり直す時間を犬にかけることができたのだから、もしかしたら犬は今頃まだ元気で生きていた可能性だってあります。
人間も10年もすれば世代が変わっています。
私の母は40年間以上も気づかずに同じことを続けましたから、私の人生のほとんどは、「いったい、何のために我慢をしたんだろう?」ということになってしまうかと思います。無知は罪なりとはよく言ったものです。
まずは、自分の現在地を知ることが重要です。どこにいるのかがわからないのに、やみくもに自転車で札幌を目指すよりも、もしもあまりにも遠くて体力や時間が間に合わないなと感じるのならば、他の手段を選択することは、あなたやあなたの家族にとっても、地球にとっても有益なのではないでしょうか。
岡本よりたかさん【原理原則1】

岡本よりたかさんの原理原則とは、化学です。物質というものを表現している以上、自然界は、物理法則、化学の基本法則にしたがいます。もしもスピリチュアルが大好きな方で、意識ですべてを何とかできると考えているのならば、まずは実験をしてみてください。
ザルに水を溜めてみましょう。もし成功したら、この記事は必要ないかもしれません。でも、ザルの目から水がこぼれ落ちてしまった方は、私と同じく意識よりも物理法則のほうが勝っています。
化学というと難しく聞こえます。私もずっと文系で生きていたので理科は大の苦手です。中学生や高校生向けなどの教科書を引っ張り出したり、ネットで調べるなどをして、なんとか2年間、必死にセミナーに追い付こうとしました。今もきちんと理解できているわけではありません。もっともっと深い理解ができればいいのですが、今の私の理解度でもこの記事くらいのことは書けます。
化学を知ってみると、この宇宙は実に完璧な調和がとれた世界なのだということが見えてきます。その調和を壊すのは、この地球では人間だけです。だから私たちがどう生きればいいのかは、こうした自然界の法則などを知ることがヒントになっていくのだと思います。
無農薬、無肥料を目的化しない【原理原則2】

無農薬や無肥料を目的化すると、私の母のようになってしまいます。それ自体が目的なので、極論を言えば野菜が育っても育たなくてもどっちでもいいわけです。そして育たない分は、スーパーで慣行農法の野菜や米を買って食べることになるのです。
そこから逸れることに恐怖を感じているので、人の話に耳を貸しません。何かと理由をつけて「できない」ことを正当化します。でも、40年もやってみて「できない」のは、やり方が間違っているからです。その人、その土、その場所に合った原理原則を知って実践しないからです。
でも、慣行農法に慣れた人にとっては、「自然農法」「自然農」「自然栽培」などの言葉は安全そうで、耳障りがいいのかもしれません。何か新しい世界を自分にもたらしてくれるような錯覚を持つかもしれませんね。そして自分は「進化」をしているのだと勘違いをし、そこから抜けようとしない「教えの囚われ」になってしまいます。囚われとは不自然です。自然界では囚われているものは何ひとつありません。
実は人間は、誰かに「こうしなさい、こうやって生きなさい」とレールを敷かれたほうが快適に生きられます。「自由を!」と叫びながら、本当は本心では自由など望んでいないのです。
その多くの理由は、自分で考えることが嫌だからです。怖いのです。だからずっと他力本願、誰かのせいにして生きようとします。
自分で考え、自分で結論を出し、自分で決めて、自分で責任を持つこと
でも自然界では、基本的には生まれた瞬間からすべてを自己責任で生きています。親から一定期間を保護養育されることはあっても、いつかは親離れをし、自立して生きていきます(そうではない種もあるのかも)。
新しい農法、「誰かの教え」に惑わされない【原理原則3】

原理原則を知らずに感覚で始めてしまうと、何かと新しい手法や〇〇農法というものに飛びつきたくなります。本を買って読んだりセミナーに行ってみたりして、時間と労力を使います。でも、すべては【原理原則】の中で起きることです。それが本当に素敵なものなのか、自分に合っているのかなどの「答え」は、原理原則を知っていればすぐにわかることです。
もちろん、有益なものもあるし、そうでもないものもあります。でも、新しいものが出るたびに振り回されてしまっていては、年1回しかできない実験である「栽培」の方針としては、ブレすぎてしまいます。特に、長い年月をかけて成熟していく自然の農法には合わないと感じています。
自然の農法の未来
二極化が進んでいると言われている世の中ですが、究極的には、思考停止の洗脳ロボットとして生きるのか、それとも思考をする人間として生きるのかの二つの道なのではないかと思っています。
自然の農法は、これまでも何度もお話したとおり、自分で考える農法です。それが面倒な人が慣行農法の農薬や化学肥料を使ったスタンプ型(金太郎飴のように、どんな条件であっても同じく育つ)の農法を選択します。
「人間とは考える葦である」のとおり、考えることをやめてしまったらもはや人間ではなくなってしまいます。ロボットと同じです。
AIでも新しい言語を取得していくのに、人間は、その最も優位に立っているはずの「思考」でさえも放棄してしまったら、今後どうやって生きていくのでしょうか。同じロボット型ならば、知識の面でAIに勝つことはないのだから、人間としての存在意義が失われてしまうのではないでしょうか。もしかしたら「水槽の中の脳」はそういう人の望む未来と言えるのかもしれません。
スマートシティやSDGsで未来型の都市建設が進んでいますが、根本的な部分で間違ってしまうと大失敗すると思います。それこそ、水槽の中の脳を養うように、人工物である「化学合成したエサ」を与えられ、思考をせず、機械のように生涯を過ごす未来がやってくるかもしれません。
「誰かの教え」に従い、自分の力を放棄し、洗脳されたままの人生は楽なのかもしれませんね。
他方、自然界に則って生きるということは、考えて人間として成長していく道です。自由の道です。責任もすべて自分が引き受けます。土に接し、土を豊かにし、人工的なものは極力排除し、自然と調和していく世界です。
雑草を抜いたら土が荒れて洪水が起きやすくなり、森も荒れ、エサや棲み処を失った動物が人里へ出てきてしまうことを知っていれば、前者のような都市の中で人工的に過ごすことよりも、自然界の中で自然の摂理にしたがい、人間として生き生きと寿命を全うすることを選択するのではないでしょうか。
自給自足、自給農へ
岡本よりたかさんは、1億総兼業農家を提唱しています。先に書いたように、自分で自分の食べ物を作れない、調達できないということは致命的です。採集生活以外は、人間も、かつては自分で自分の食べ物を作りつつ生きていました。ところが産業革命以降、分担制という分断構造ができてしまい、「専門家」「プロ集団」などというマクロな視点を失った人たちが重宝されるようになりました。物事はより複雑になり、「専門家」でないと対処不能になったのはたしかです。人々はそれで誰かに依頼をしなければならなくなり、お金という引換券が必要になってしまいました。そのお金を稼ぐためにどこかへ働きに出て、時間と言う命を削ることになりました。時間がなくなったので自分でやれることでもできなくなってしまい、更にだれかに頼むようになり、そのために余計にお金を必要とする社会になりました。
こうしてお金というものを使ってすべてを解決するクセがついてしまい、人々は自分の力を失った結果が今の社会です。こうして出来上がった分断社会は、人の想像力やマクロ視点を奪い、自分勝手な世の中になってしまいました。
お金に依存し、お金がないと何もできず、今後もお金で何とかなるのではないかという幻想を未だ抱いています。でも今の社会はもう続かないことはコロナやロシア・ウクライナ問題があり、「平和ボケ」という病にかかった日本人にも見えてきています。
お金があってもガス・石油などのエネルギーが買えないようになってきていますし、野菜も含めて価格が高騰しています。今後はもっと値上がるでしょう。
どこかの「生産地」から何か(エネルギー、米、野菜など)を買うということは、何万年以上もの蓄積であるその場所の恵みを、一時的なお金という引換券のためにどこかへ売るということです。持続不可能なシステムです。
「無農薬の農家さんから買っているからうちは大丈夫」ということではないのです。遠方から購入をしたら運搬のためのエネルギーや人の労力がかかります。これが大きな地球破壊につながっているのです。
また、ロシアへの経済制裁のように、制裁を科した側がエネルギーを売ってもらえなくて困るという事態になるのが今の日本です。
雑巾をギュッと絞り過ぎてどうにもならなくなった状態が今です。でも、その雑巾を絞る手を緩めるだけで私たちはもっともっと楽に生きることができるのです。
現在、体調不良の方、幼児を抱えた方、介護をしている方、高齢で体が厳しい方などが大勢います。日本人の約半数が自給をすれば、1人で2人分をまかなうことで全員が食べていけます。
なにも、専業農家になりましょうということではないのです。土が整い、コツがわかれば好きなことをしながら農を行うことができるのです。半農半Xです。
生産をするから食べることができます。誰かにお金のために豊かさや時間という命を削る行為を強要することは、虐待にあたることだと思います。農家さんは食べるためにそうしてくれていますが、もしも生活の不安がなかったら、今のように無理をして生産と販売をすることはなくなるでしょう。そんな世の中にしたいと思いませんか?
まとめ
よりたかさんのセミナーを受講したメリットは、もうたくさん伝わったことと思います。
たしかに受講料はかかります。でも、その受講料の何倍もの貴重なものを受け取ることができました。
ましてや、多くの場合は1年に1回しかできない栽培です。知っているのと知らないのとでは雲泥の差。私も開墾をする前に知っておけばよかったと強く思いました。
知っていることで、時間と労力を大幅に節約をすることができます。時間と労力とはつまりお金です。
世の中には情報が氾濫していますが、どの分野でも、本当に貴重なものはお金を出して買うものが多いです。
少しの自己投資をすることで、人生をより豊かにすることができると考えることは、何にでも当てはまります。反対に、大事なことに自己投資をすることができない人は、ずっとそのままのラインで人生を歩むことになります。
ではデメリットは何だったでしょうか。答えは、「もっと知りたくなってクセになる!」です。まだ未挑戦なのですが、土壌学や植物学を知ることによってより深く理解することができていくのでしょう。セミナーではたくさん質問をさせてもらいましたが、それでもどうしても残ってしまった疑問がたくさんあるので、今後じっくりと復習をしながら、知識を横につなげ、次元を上げていこうと思います。
①私たちが実践することになる畑に近い土で実践して教えてもらえる(出張型)。
②「うちの場合はどうなの?」に対して教えてもらえる。
③オフレコのお話、「実際のところどうなの?」の答えをたくさん聞くことができる。
④時間の制約がキツいオンラインセミナーと異なり、少しゆったりめに質問に答えてもらえる。
⑤原理原則を知ることにより、マクロ視点を獲得し、新しい情報や農法に振り回されない。
⑥自然界とは人としての生き方なので、その自然界の原理原則を知ることにより、より良い生き方が見えてくる。人生の答えが見えてくる。俯瞰視点、メタ認知を獲得し、「悟り」に近くなってくる。
⑧こうしたことで時間と労力の節約になり、充実した人生という豊かさを受け取ることができる。
⑨精神面の自給だけでなく、物質的にも自給する力がつき、生きる力が湧いてくる!
➉クセになる!



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