この子は「死なない」という幻想
私は去年、ぽん吉の娘(こぐたん)が急死した時に、激しく取り乱しました。その前年にもぽん吉の息子(たんたん)が亡くなったばかりでしたし、こんなに続くなんて想像していなかったんですね(ポジティブ思考の誤用とリスク管理の甘さです)。
また、今回も獣医の誤診があったんです。実は以前亡くなったこぐたんのパパの時にも誤診があったんです。かかりつけ医と解剖医との両方とも大ミスをしてくれました。その時には、かかりつけ医からずっと「ただの腰痛」だと言われ続けたものの、何かおかしいと思って電話をした夜間救急動物病院から「緊急性はない」と言われて地域の一番早く開院する病院の前で待っていた時に、息を大きく3回吸ったかと思ったらそのまま息を引き取ってしまったんです。
そんなことがあったので、こぐたんの時にも何度もしつこく命の危険はないのか、緊急性はないのかとしつこく確認を続けたのに、結局なぜ必要な検査をしてくれなかったのかという怒りも強くありました。
私はこの子(こぐたん)にはとても執着していたんです。元気モリモリで、この子の成分は元気しかないんじゃないかというくらい、元気100%でした。だからなぜかこの子だけは死なないと思い込んでいたんです。バカですよね。
だからあまりにもその死が受け入れ難く、本当に心の灯が消えたようになってしまいました。
怒りは自分に向けられている
この時に撮影した動画があるんですが、すごい怒っていますよ、私。
誰にっていうと、確かに、これまでに誤診やミスをした獣医にだけでなく、避妊手術をすればいいと安易に考える獣医に対しても怒っていますが、実はその怒りも本当は私自身に向けられているんですね。

誤診が続いたことについては、私のカルマ【課題】解消につながりました。
【人生の課題】については、下の記事をどうぞ。

なぜ怒っているのかと言えば、命とは、いつ死んでも当たり前なのに、それを忘れて生きていた私自身に猛烈に腹が立ったんです(怒りとは、誰かに向けられているように見えますが、本当は常に自分自身に向けられています)。
また、「この子の命を守れなかった、助けられなかった」という無力感なんですね。
でもどうでしょうか。本当に「私」や誤診をした獣医さんは守れなかったんでしょうか。
たしかに一般的にはそういう言い方をすることが多く、私もそういう表現をすることがあります。
でも、実のところ、本当はそうではないんです。
そうでないというのが本当なのだとすれば、自分や誰かに対する怒りも見当違いということになってしまいます。
「死」とは
私たちはあまりにも「死」を避けて生きています。
でも昔は「死」とはいつも隣り合わせの生活だったわけですね。それはおかしいのではなく、実は本当の姿だったんですね。
近年は、皮肉にも、核家族化、衛生環境や医療の進歩などで、死を身近に感じることができないまま生活をしています。
でも、命の在り方で言えば、「生」と「死」とは表裏一体です。
生まれたからにはいつかは必ず死んでいきます。
私たちは、生まれた瞬間から死へと着々と突っ走っているのです。
そして寿命は、たったの1日かもしれないし、120年かもしれない。
犬や猫さんで言えば、生まれてすぐかもしれないし、20歳かもしれない。
犬や猫たちは自殺をしないから、いつどんな死に方をしたとしても寿命なんです。
寿命ということは天寿なんです。やり切ったんです。生き切ったんです。
「これからという時だったのに……」とよく言いますが、それでも生き切ったんです。 何歳で亡くなってもそれが天寿です。
診断ミス、医療ミス、誰かからの加害による事故死、いろいろと経験しましたが、結局どれにしても本人にとってはそれが天寿だったのだと思えるようになったのです。
ペットさんの場合は特に、そういう【命の授業】をごく短期間で教えてくれるんですね。
猫さんもそうですが、特に犬さんの場合には、ただ真っ直ぐな瞳で飼い主を見つけ続け、愛と信頼を与え続け、絶対に裏切らず、飼い主からどんなに酷い目にあったとしても信じることをやめないんです。
これを人間ができるようになったらどうでしょうか。平和な世界になりますよね。
ペットさんは、そんな【赦し】を人間に見せてくれるんですね。なんて崇高な魂なのでしょう!
もし若くして我が子を亡くした方なら、これに近いものを感じるでしょう。
死んだら「幸せ」になる
生と死とは表裏一体と言いました。
だから「死」を合わせると「死合わせ」「幸せ」なんだと思うんですね。
遺された私たちにとってはどんなに苦しくても、逝きゆく本人は、実は深いレベルでは満足しています。
そしてあの世では、痛みも痒みも苦しみもありません。
肉体と言う鎧を来て思い通りにならない修行をしているこの地球とは全く違うんです。
鎧を脱げば超楽ちんです。
食べたいものを食べることができ、好きな場所で好きなだけ遊べるんです。
なんせ、そこは「天国」ですから!全てが思い通りなんです。良くも悪くも思い通りなんですね。

良くも悪くも思い通りということは、潜在意識レベルで苦しさを抱えている場合には、それがあぶり出されるということです。顕在意識は環境ですぐに変わります。これについてはまた別の記事にします。
そんな天国に生まれ往く(うまれゆく)んです。だから「往生」と書きます。
この世で生きているはずなのに、亡くなる前のことを「生前」「生まれる前」と書きます。
「あれ、今は生きていない?」ってなりませんか? 天国に行くことが「生まれる」ことです。
この世とあの世(宇宙)とは
本当のところ、この世もあの世も「空(くう)」なんですね。
私たちの本質は、人間も犬も猫も草も星も全てが「無」という実在(宇宙がビッグバンをする前の「無」と呼ばれているもの、根源、源、神)です。

物理学では、19世紀までは【無】には何も存在していないとされていました。
しかし現代の量子論では、【無】は真空であり、そこには電磁波ばかりでなく、電子や陽子などのすべての粒子の、すべての波長のゼロ点振動が充満しており、エネルギーを持っているとされています。

この宇宙は、【無】という私たちの実体が分離して成り立ちました。
「無」からできたのが私たちなのだから、私たちの正体は「無」という宇宙の創造神なんです(悟りでも同じことを言います)。
物質が存在して、この世やあの世が実在していると思うもの(宇宙や天国)が実在していなくて
あるのかないのかわからないような世界「無」が本当の「実在」です。

え?「有」が無くて、「無」が在るんだって?ワケワカメ~!
だから私たちの価値観は反転しているんですね。
般若心経の世界です。この世やあの世(どちらも【色】(しき))の全ては「空」であり、幻想です。

つまり、この宇宙の中の出来事は全て、ドラマの中の出来事であって、ドラマの役割を終えると(亡くなると)、本当の自分に還っていくんですよ。
そう、役者さんが撮影を終えると役柄をやめて自分に戻るように。
帰宅して温かい食事と温かいお風呂を家族と共に楽しんでゆっくり眠るんです。
それが「死」です。だから怖くもないし、苦しくもないし、辛くもなく、全てが癒されている世界なんです。つまり肉体という辛さ・苦しさを引き起こすものからの【解放】なんですね。
長く病にあった方が亡くなると、よく「これで楽になったね」と言いますが、それは本当なのです。
実在していると思い込んでいたこの世が、実は実在していなかったと思い出すのが天国です。

何となくお気持ちが楽になりましたか?
死にたい命
病気や事故が原因で亡くなったのか、それとも死ぬために病気や事故を引き起こしたのか
こんなことを書くと、お辛い方にとっては嫌な記事になるかもしれません。
でも、私たちは、ずっと悲しむことも選択できますが、それでも前を向いて生きていくことも選択できます。もしあなたが後者であるならば、この続きを読んでください。
上の記事でも書きましたが、私もずっと「あの時にしっかりと診察をしてくれていたのなら……あの時に私がこうしていれば、ああしていれば……死なずに済んだのかもしれないのに」などとずっと悔やんで、自分や獣医を責めてきました。
でもね、ふと思ったんです。
これは私の経験からそう思っていることなんです。今まで犬8匹、猫たちなどを看取ってきました。
人間でもよくあるんですが、なぜわざわざ苦しんで病と闘ってから亡くなったんだろう、もっと苦しまずに死んでいくこともできたのではないかと思ったんですね。
亡くなってから気づいたのは、もし病気でもう自分の命が長くないということを私に教えてくれる時間がなかった場合、あまりにも私が悲しすぎて生きていかれなくなってしまうことを知っていたからではないか、ってことなんです。
突然死、事故死って、病気と違って心の準備をする時間がないんです。元気な姿で帰ってくると思っていたのに、冷たい体になって帰ってきたなんて突然すぎる衝撃は、そう簡単に耐えられるものではありません。
それでわざわざ病気と闘って心の準備をするという時間をくれたのではないかと……。
では、ペットさんや幼い子にとって帰宅をしたくなる理由は何があるのかと言えば、
などがあるのではないかと私は感じています。
ペットたちは死にたいのか
え?死にたがっている命なんかいないって?そう思いますか?私もずっとそう思ってきました。

落ち着いて読んでくださいね。
たしかに、少しでも長く生きることを目的にするからギリギリまで手術を繰り返してしまうこと、よくありますよね。獣医さんでもそう公言する人は多いです。
でも、ペットさんたちは本当にそんなに長く生きたいのでしょうか。
それは、私たちの勝手な価値観ではないでしょうか。特にペットさんの場合には、死にゆくことを何とも思っておらず、反対に自宅に帰るくらいの気持ちで虹の橋を渡っていくのだと私は思います。
よく、生まれ変わりを繰り返す中で、微生物などのごく小さい命から順に段々と大きな生物になっていき、人間になると言いますよね。
だから、人間になっていない動物たち、ペットさんの場合には、分離感も少なく、私たちの実体である【無】という神意識に近いんですね。だから人間ほどにいろいろなものを恐れていないのです。
でも
そこから今の人間にも起きているような過剰な医療(寝たきりなど)が動物たちにも起きていることも指摘できると思います。
長生きをさせる、病気にしたくないという気持ちはもちろん大切で、私も常々心がけていることですが、それだけを目的にしてしまうと、「生」の在り方をはき違えてしまいます。
ペットさんの場合には、寝たきりというのは聞きませんが、以前よりも高度な医療を行って蘇生措置を施すこともよく見かけるようになりました。もちろん、それ自体が悪いということではありません。でも、今、人間に行っているくらいにまで動物たちを縛ってしまったら……。
ギリギリまで手術などを繰り返してまで一日でも長く生きさせることは、本当に本人の望みなのでしょうか。
私はそうは思えないんですね。
こぐたんのパパ犬は死にたかったのではないか
冒頭でお話をしたこぐたんのパパの場合には、かかりつけ医の誤診が続きました。
亡くなる前夜からは、精神的に病んでいる人たちの争いに巻き込まれてしまい、この子の最期の時をきちんとケアすることができなくなってしまいました。
夜間救急病院に電話をしても、「緊急性はない」と言われてお断りされました。
地域で一番早く開院する動物病院のホームページと看板は古いままで、実際には、表示どおりに開院しませんでした。
それで亡くなったんです。
すぐにその場で電話をした夜間救急動物病院に電話をしましたが、「とにかく連れてきて」と言われ、とにかく連れていきました。もう朝の渋滞ラッシュの時間帯になっていて、車で1時間もかけて行く場所でしたが、行きました。
到着してからどうするのかと言えば、蘇生措置をしたんです。心臓マッサージと呼吸器の装着。
亡くなってから1時間も経過したんですよ。生き返るはずなんかありませんよね。もう動かない体に向かって何度も力を加えて蘇生を試みる様子は、私にはトラウマになるほど酷でした。
で、電話で誤った対応をしたことをお詫びするためにやってくれたのかと思ったら、蘇生措置の料金を数万円、しっかりと請求してきたんです。私は怒り心頭ですよ。
それでも死因が不明で納得できない私にとっては、他に解剖ができる動物病院はここしかなかったので、怒りを抑えて解剖をしてもらいました。
そうしたら、解剖の目的である死因をきちんと特定することをしないまま閉じてしまい、解剖ができる期限を過ぎてしまって、結局死因もわからなかったんです。解剖の料金も当然かかっています。
去年亡くなった娘のこぐたんの時には、また別のかかりつけ医が休診で、他もお休みだらけで、結局この夜間救急病院に行かなければならなくなり、同じ動物病院で再度誤診を受けて亡くなることになります。それでも、もう失ってしまった命は帰ってきません(これが私の「それでも赦す」という課題をクリアすることになったんですね)。
こぐたんもパパも。
考えてみてください。こんな偶然が何度も重なるでしょうか。奇跡以外には考えられないほどの偶然の積み重ねですよ。もし何かひとつでも違っていたら……。
もちろんそれで命が助かったかどうかまではわかりません。どんな高度な医療でも救えない命もあるからです。解剖までしたけど原因不明で終わってしまった命。他の獣医を尋ね歩き、それぞれの見解を教えてもらったけれど、結局何もわからないまま。
原因が不明でも虹の橋に行ったあの子が帰ってこないのだとしたら、パパ犬はそれで満足しているからなんでしょう。
だとすれば、やっぱり、何かが原因で亡くなったという以外に、亡くなるためにそれを引き起こしたと考えることもできるのではないか……。そう思ったのです。
私たち人間同様、犬さんも猫さんもヘビも小鳥もみんな、「無」というこの宇宙の創造主です。
アニマルコミュニケーションで亡くなったペットの声を聴く
これまで書いたように、ペットさんにとって実際にはどうなのか、亡くなったペットさんに直接尋ねることはできませんから、動物とお話ができるハイジのようなできる方に教えてもらうか、それか、どれが真実なのかはわからないけれど、自分がどう思うかを選ぶことであなたも亡くなったペットさんも幸せにしていくことができればいいのではないかなと思うんですね。

何事も、受け止め方、解釈次第ですね。亡くなったという事実はひとつしかないけど、それに対してどう思うのかをあなたは自由に選ぶことができるんです。そして、どの解釈もそれが正解なんです。
獣医師でアニマルコミュニケーションをしてくれる高江洲薫先生は、生きているペット、亡くなったペットたちとたくさんのお話をしています。著書を読むとわかりますが、先生は、とても詳細まで観えているんですね。

何か怪しいという気持ちになった方もいるかもしれませんが、人は自分の経験や想像を超えるものに対しては恐怖心を抱くものぴょん!大丈夫!
そんな高江洲薫先生からは、動物たち、ペットたちが後悔したというお話は出てきません。それどころか、闘病の末に亡くなったペットさんが、虹の橋を渡ってから「ボク、全然痛くなかったよ!この病気になってみたかったんだ!」って満足そうにお話するのを伝えたところ、深刻に悩んでいた飼い主さんが呆気にとられたということをお聞きしました。
どう解釈するかで飼い主やご両親が少しでも楽になるのならば、それを選択することは、亡くなった子にとっても嬉しいことなのではないでしょうか。
パパ犬の声を聴いてみた
高江洲薫先生ではないのですが、私は亡くなったペットの声を聴けるという人に頼りました。
その人曰く
ということでした。この子は、私がDVなどで苦しんでいた時に寄り添ってくれた犬です。子供、仕事、お金、配偶者などをいっぺんに失った私の唯一無二の心の支えだったんです。
でも、この子はとても優しく、ビビリだったんです。マルチーズですから、大人の男性の暴力に立ち向かうには小さすぎますよね。人間は卑怯なことに素手ではなく道具まで使いますから、到底太刀打ちできません。そして、DVから私を守れなかったことを悔やんで、強くなりたい!って決断したと。
そう考えると、なぜか不運が重なり、結果的に虹の橋を渡ることになってしまったことの経緯が納得できます。
もちろんそれが間違いないと断言することはできません。でも私はそう思うようにしたんです。

幸運か不運か(二元思考)の判断も、とてもあいまいですよね。
「死」とは、命の循環の一部であり、命の完成のために必要なこと
この宇宙は、二元思考で溢れています。これが苦しみの元になっています。
二元思考とは、
これは、「認知の歪み」のリストにも挙げられている思考です。
でもお話しましたが、どっちかに明確に分かれているものは、この宇宙には一切存在していません。
物質的な概念に支配され、自然界から離れてしまうと、こうした二元思考に憑りつかれたように、ずっと「どっちか」のシーソーゲームをし続けることになります。ちょっとでもおかしいことがあると「あの人は闇だ」とか「あの人は信用ならない」と考えてジャッジメントしてしまいます。その結末は、孤独と行き場のない怒りだけです。だって、善100%の人はこの世に存在しないのだから。
ということは、「生」も「死」も本当はないということです。この記事の上の「死とは」にも書きましたが、生と死とは表裏一体です。表裏一体として循環しているんです。
たしかに目の前にずっといたあの子がもういない、抱くことができない、その辛い悲しい気持ちは痛いほどよくわかります。
でも、亡くなってから時間が経ってもつい気持ちがそこに行ってしまったら、パッと切り替えましょう。どんなふうにかと言うと?
泣いているヒマはない!
亡くなったら、あっという間にその子は帰ってきます!
あなたは、その子がトリミングや学校に行っている間に急いで部屋のお掃除をしてきたように、今度はあなた自身のお掃除をしなければなりません!
その子が帰ってくるまでに、
しませんか?
そのためにあなたがやるべきことは山ほどにあります!
あなた自身の心の浄化を通してあなた自身が世の中を照らす光になることです!
光になるということは、あなたの心の底に閉じ込めている闇(悲しみ、怒りなど)を照らしてあげて、光に昇華させてあげることです。
今、苦しみを自覚している人は意外に少ないのです。多くの人は、本心に気づいていなくて自分を幸福だと思っています。もちろん、不平不満を並べるだけよりもずっといいのですが、私たちはもっともっともっともっと幸福になれます!
そのために私はこうして今、ブログを書いていますし、SNSでも発信をしています。
ペットさんたちを幸福にするには、
が必要です。
愛しい我が子のために、私たちが今できることを一つ一つ進めていきましょう!
まとめ:ペットや幼い子の死は、尊い命の授業
冒頭のお話に戻りますが、私たちはふだん、その子の命が明日もあって当たり前という幻想の中で生きています。
幼稚園に送り出す時、眠りにつく時、これが最後になるかもしれないと思っている方はそう多くないと思います。
まだ若いから死ぬわけがない、縁起でもないから考えないということが多いのだと思いますが、それでも命は突然終わるんです。
日本でも戦争までは多くの命が失われていました。飢え、病気、事故etc.それに比べ、現代はかつてないほどの「死なない」時代になっています。だから
なんていう価値観になってしまったのだと思います。
もちろん長生きは嬉しいです。もっと一緒にいたかった、その気持ちは痛いほどによくわかります。でも命の目的は、それだけではないのです。
ペットで言えば殺処分という人間本位の不自然なことを行うようになりましたし、人間で言えば「自殺」という、本来の命のあり方とは真逆な選択をする人も増えました。
命が当たり前に明日もあるだろう、このまま続くだろうという幻想が、こうした不調和な事態を引き起こしたのだと思います。
そんな原点に立ち返り、このいただいた命をどう生かすのか、死ぬときに後悔しない生き方はどんな生き方なのかを教えてくれているのではないでしょうか。
いつあちらに帰ってもいいようにこの一瞬一瞬を精一杯生きて、送り出す側としても、送られる側としても、後悔のないようにしたいですね!
今日は以上です。長い記事をお読みくださり、本当にありがとうございました。
あなたの選択は地球と未来を変える力があります!またね!
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