
幸福への道として内観を進めると、自分を不幸にするラスボスは自分だと気づきます。自責の念が辛い方も多いのではないでしょうか。
反省、自省は必要ですし、謝罪や金銭賠償などをしっかりと終えたなら、ずっと自分を責めても誰も幸せになりません。
過ちは、未来に繋げ、みんなの幸せに役立てましょう。
実際のところ、それしかないのです。
夏至前の最後の満月

今日は令和4年6月12日です。今年の夏至は今月21日ですが、その夏至前の最後の満月が明後日14日です。
今、様々なものが内側から噴出している方が増えているのではないでしょうか。感情、肉体面ともに。とてもお辛い毎日を送っているような気がします。
これまでずっと見たくなくて避けてきたり、フタをしてきたあらゆる負の気持ちに向き合わざるを得ない状況になっている気がします。
私も今、犬のてんかん発作に際し、残っていた他責の念、自責の念を昇華させようとしています。この後悔は、もう30年以上前の話です。取り返しのつかないこと、なんてバカだったのだろうとずっと自分を責めてきました。それを手放してもまた出てきていました。心理的なブロックは、完全に昇華させたつもりでもまた中のほうから出てくるものです。根深いものは、何度も何度も。
悟りから観た「過ち」

これは、とても誤解を招く表現なのですが、最も俯瞰した場合のことをお話します。こんな見方もあるんだなぁくらいに受け取ってください。過去の過ちは、その人が真我(神、創造主)の化身(アバター)となって役割を引き受けたものです。これを免罪符として何の反省もないのは不調和ですし、カルマ清算はしっかりとしなければならないのですが、本心から悔いて贖罪をし、反省したものをいつまでも長く持っていたままでは、その人にも世の中にも良くありません。
こう書くと、じゃあどんなことをしても赦されるのかと、社会的大問題を例にして憤りを感じる人もいるかもしれませんね。たしかにそのとおりです。私もいくつもの犯罪被害者ですから、そのお気持ちは、よーくわかります。でも、懲らしめを好む日本でも、罰、懲らしめよりも改善、矯正の道を選択し始めたところです。
犯罪者を罰する真の目的は、被害者やその家族を癒やし、本人も他の人も、同じ過ちを二度と起こさないこと、悲しむ人を1人でも減らすこと、これらによって社会秩序を保ち、誰もが幸福になることかと思いますが、現在の刑罰制度ではそれが果たされていないのが現状です。

悲しい事件は後を絶たず、同様の犯罪が繰り返されるばかりか、犯人、加害者もしっかりと反省さえできていません。裁判が結審すればもう事件は終わったかのように扱われてしまいます。事件化されていない被害だってごまんとあります。これでは被害者も置いてけぼりなのです。ただ、懲らしめればいいというものではないということです。もちろん何らかの処置は必要でしょう。
でも、そもそも罪を犯したり、加害者になるということは、心が病んでいるのです。健康な心を持っていれば、誰かをイジメようとか、傷つけようなどとは決して思いませんから。ならば、その心の病を治していくことが必要ではないでしょうか。それは、本人のみならず、他の国民、そして誰よりも被害者のために。きちんと自分が犯したことと向き合い、心から反省した時、被害者の心の氷も少しだけ溶けるのではないかと思います。私も過去の犯罪被害について、加害者にはそう望んでいます。
懲役よりも矯正、更生へ【拘禁刑創設】

つい先日、拘禁刑のニュースが報道されていました。懲役を廃止して、拘禁刑に変更になるという内容です。
https://www.moj.go.jp/content/001261842.pdf
子供の教育でも、昔は体罰が良いとされ、叱るのではなく、感情的に怒るしつけが主流でした。ところが社会は怒るのではなく叱ろうという風潮になり、体罰も禁止になりました。

薬物依存に限らず、犯罪を行う人は、何らかの心の病であるというお話をしました。悟りの見地から観れば、悟り前には誰もが心にバイアスを持ち、私たち本来の心の持ち方ができません。このバイアス社会があらゆる犯罪を生んでいるというわけです。つまり、社会全体が加害者なわけです。
犯罪は、事前に防止するしかない

つまるところ、刑罰は、ある程度の抑止力になったり、被害者の気持ちが救われる助けにはなったものの、それでもずっと追っかけっこで、本人にも被害者にも大きくは効果的でないなら、初めから犯罪が起きない社会を目指すしかないのです。それが一番ではないですか?
懲らしめでは被害者も家族も救われない。やっとここまできたのではないでしょうか。とにかく、誰も傷つけないためには、犯罪を事前に防止することしかないのです。そのためには、家庭内の体罰も禁止したり、明確なルールを作ることも必要ですし、再犯率が高い日本の刑務所のあり方を変えていくしかないのです。なので、すでに犯罪を行った人に対しては、拘禁刑によって心の病を治していくことは、とても重要です。
私もいくつもの犯罪被害者だとお伝えしましたが、2つの重い事件では犯人は捕まっていませんし、1円の賠償も補償も何もありませんでした。私がまだ未成年の頃からのお話です。刑罰制度、裁判制度はこれが限界です。裁判で勝訴しても、お金のない人からは1円ももらえませんし、反省のない人からは「ごめんなさい」という言葉ひとつもらえないのです。そう、心が病んだままだから。
二元世界の卒業【平和】へ

映画やドラマで人気なのは、医者か刑事ものです。刑事ドラマでは、警察、検察、弁護士などの【善役】が【悪役】を「やっつける」ことで盛り上がります。つまり、私たち人間のこれまでの人生は、こうした善役と悪役との【二元的】な戦いが特徴だったわけです。つまり、罪と罰によって、これまでの歴史を作ってきたわけです。
ところが今、懲役刑の廃止によってその【罪と罰】の概念が変わるのです。これではドラマがつまらないですね。つまらないということは平和なわけです。かくしてこの世の平和は、とても近づいたと言えます。
私たちをたくさん洗脳して楽しませてくれたテレビドラマや映画の世界もこれで大きく変わるでしょう。洗脳が終わっていくのです。洗脳が終わると、誰もが喜び溢れる社会になります。
自省したら社会の役に立とう

冒頭のお話に戻りますが、私がずっと自分を責めてきたのは、祖母の入院のお見舞いにあまり行けなかったことです。まさかそのまま亡くなってしまうなんて夢にも思わず、元気で帰ってくるものだと思っていました。行けなかった理由は他にあるのですが、私は、そんなふうに無思慮な行動(しなかったこと)をずっと30年も責め、引きずってきたわけです。いつまでも責め続けても意味がなく、それよりも私が幸せで生きていくことが祖母の喜びにもなると、頭では分かっていても、この罪悪感は、なかなか深かったんですね。私の人生は間違いだらけだったので、他にも罪悪感を引きずっていたことはたくさんありますが、ここでは、今回出てきた罪悪感をご紹介しました。
まとめ
私は、この体験を皆さまにシェアすることで、誰かの役に立てれば嬉しいなと思い、綴りました。誰かを責めたい気持ちは、自分を責める気持ちの裏返しです。その自責の念が社会のしわ寄せになって、誰かに向かわないように、私たち一人一人が思慮深くあれば、平和な世界を近づけるスピードも速くなります。
あなたがあなたを赦せますように、心からお祈りいたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。またね!


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