大人になると、冷静でいることが求められます。
ちょっと怒るとすぐに「大人げない」と叱られますよね。
でもね、大人として冷静であることは、喜怒哀楽を全く感じなくなることではないんですよ。
喜怒哀楽を感じることができるけれど、冷静に判断しているんです。
だから、何もかも感情にフタをして、感じることをやめて「事なかれ主義」になっているのとは別物です。
また、傷つくことが怖くて見ないように、感じないようにしているのとも違います。
多くの人は、特に日本人は、怒ることを忌み嫌うので、本当は腹の底ではすごく怒っているのに、怒っていることを感じないようです。
スピリチュアルや自己啓発を始めた人も、「ポジティブ思考」や「ワクワク」「波動を上げる」などの教えから、怒ること、悲しむことを極端に避けてしまう傾向が強いです。
そうでなくても、社会人としての常識から、怒っていても、怒っていることを悟られまいと振る舞っています。それが「大人」であると思っています。
もっと素直に感情を感じてみましょう。
「ああ、私は怒っているんだな」
「なんかイライラするぞ」
「うー、それは悲しいな」
こういう「ネガティブな感情」をきちんと感じましょう。
それをそのまま相手にぶつけなくてもいいんです。なぜ腹が立ったのか、どの言葉や態度に悲しくなったのかを感じ、自分で理由をしっかり見つけられたら、次は、本当は自分はどうして欲しかったのかを見つけるんです。
自分の本当の望みと違うことが起きたから怒ったり悲しかったんです。それが分かったら、それをそっと相手に伝えてみてもいいんです。優しく「冷静に」ね。すると、相手も何かに気づいて、変わるかもしれません。変わらないかもしれません。それは相手の時期や器次第です。決して期待してはいけませんよ😊
私たちが求めているのは、愛です。守られることです。自分の存在価値を認められることです。仲良くしたいんです。豊かでありたいんです。
自分の中のその欲求を認めて、自分の中でしっかりとそれが確立できると、逆に過度に社会に要求しなくなります。
その結果、社会には「依存」がなくなっていきます。
自立です。自分軸です。精神的にも物質的にも自給自足していけるようになっていきます。
それぞれにそれが満たされた時、平和な社会が実現すると私は思うんです。
そのために「快、不快」を感じるようにできているとも言えます。
自分の喜怒哀楽、不快がわかるからこそ、相手の不快や喜怒哀楽がわかるんです。
すると、エゴ的な「快、不快」(例えば自分さえ良ければいいという考え。不調和な自分だけのワクワク、騒音、異臭、利益だけ求める企業、政治に無関心な国民など)ではなく、全体社会から見た希望の道を見つけられるようになっています。
正義のヒーローは悪役に依存しています。医者は病人に依存しています。弁護士は誰かの争いに依存しています。伝わっていますか?😊
私たちが教えられてきた「善」も、すべて「悪」との相関関係でできています。悪や闇は、誰かに必要とされているということです(もちろん、それを今すぐに廃止しようというわけではないですよ。ただ、ありのままに見ただけです)。
私たち人間は、ロボットのように感情のないものになるために生きているわけではありません。
しっかりと快を感じ、不快なことに敏感になると、イジメなどの不調和なこと以外はすべてが喜びになり、快の範囲が広まります。
そして冷静に判断できるようになるのが大人だと思うのです。
まずは、しっかりと喜怒哀楽を感じてみてくださいね💓
お読みくださり、ありがとうございました。
どんなことでも愛でできていますよ。ではまた。


コメント